上野友幸

Ueno Tomoyuki

1982 兵庫県生まれ
Born in Hyogo

2006 成安造形大学造形学部ハイパーメディアクラス 卒業
Bachelor, Hyper Media department, Seian University of Art & Design

2008 東京藝術大学大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻 修士課程修了
Master, Inter Media Arts department, Tokyo University of the Arts

2012 ベルリン芸術大学デザイン科アートアンドメディアクラス マイスター課程修了
Meister, Art and Media, Berlin University of the Arts

2012 vkunst frankfurt IV 「neue klarheit」 Fahrgasse 60311(フランクフルト)
vkunst frankfurt IV “neue klarheit” Fahrgasse 60311, Frankfurt

2013 無意識の自然法則 ベルリン日独センター(ベルリン)
Das unbewusste Naturgesetz Japanese-German Center Berlin, Berlin

2014 TEI 2014 ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン (ミュンヘン)
TEI 2014 Ludwig Maximilian University of Munich, Munich

2014 個展「another dimension」 REH-transformer(ベルリン)
Solo Exhibition “another dimension” REH-transformer, Berlin

2015 個展「Unity and Force」 MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w(京都)
Solo Exhibition “Unity and Force” MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w, Kyoto

2015 HYDRA SCHOOL PROJECT 「GENUINE FAKE」 (ヒドラ島/ギリシャ)
HYDRA SCHOOL PROJECT “GENUINE FAKE” Hydra, Greece

2015 THIS WAS THE FUTURE ONCE Kreuzberg Pavillon(ベルリン)
THIS WAS THE FUTURE ONCE Kreuzberg Pavillon, Berlin

2015 個展「It was like that」 Raketenstation Hombroich(ノイス/ドイツ)
Solo Exhibition “It was like that” Raketenstation Hombroich, Neuss, Germany

推薦文

上野友幸について

推薦者:松尾惠(ギャラリスト)

世界を認知するために美術があるとすれば、上野は、着実にその体験を重ねているといえます。たとえば、制作活動の初期には、作品の一部に生きている小動物を用い、生存について直裁な関心を示しました。つづく、標本や植物を使用するシリーズでは、人間の自然界への介入がすなわち文化というものであることを示唆しました。上野の仕事は、その後も一貫して、自身が避けきれない現実や歴史への介入の試みです。2008年以降のドイツでの活動は、戦争、植民地、国境などへの関心へとつながり、各国の国歌や、長らく参照されてきた書籍「戦争論」と近現代ヨーロッパの地図をモチーフとする作品へと進化しています。2015年の個展では、アジアやアフリカがヨーロッパとの間に見る文化的な距離がモチーフとなりました。

そして、各シリーズに広がりや深さが増しつつある中、上野の作法には、現在まで、同類・酷似・関連する2つの物や出来事を並列させるという共通点があります。それらは、親密な双子に見える一方、対立をも暗示しています。しかし、上野は、友和か対立かといったわかりやすい結末以外に、自身と世界にはどのような接続があるのかと問いかけ、両者の間を往還しつづけます。作品ごとに異なる技術や素材は、その熟考の結果とみることができます。

美術にとって作家は、とりもなおさず美術と世界をつなぐ霊媒(medium)的存在といえますが、上野は、自身の作品の中にさまざまな角度で立とうとし、その位置によって世界はさまざまに異なる関わりを迫ってくるのだと示します。それは、人間は、個々に現実世界を照らすひな形であるという表明であり、国歌シリーズでは、近代化とは型どおりの秩序や価値観の埋め込みではなかったかと問うのです。デジタル時代において、上野は、また、生身の身体のみが情報の複製機であるといおうとしているかのようです。