西山 瑠依

Nishiyama Rui

1986 神奈川県生まれ
2012 多摩美術大学美術学部絵画学科版画専攻卒業
2013 「西山瑠依展」ガレリア・グラフィカbis/東京
「西山瑠依展」鹿沼市立川上澄生美術館/栃木
「町田ゆかりの作家展」町田市立国際版画美術館/東京
「第8回飛騨高山現代木版画ビエンナーレ」/岐阜
2014 多摩美術大学大学院博士前期課程版画研究領域 修了
2018 「第86回日本版画協会展」東京都美術館
「西山瑠依展」小杉画廊/神奈川
2019 「西山瑠依展」オリエアート・ギャラリー/東京
「PRESS展」小杉画廊/神奈川
「西山瑠依展」ギャラリー間/千葉
1986 Born in Kanagawa, Japan
2012 Graduated from Tama Art University, Faculty of Art and Design with a B.A. in Printmaking
2013 “Rui Nishiyama Solo Exhibition”, Galleria Grafica bis, Tokyo
“Rui Nishiyama Solo Exhibition”, Kanuma Municipal Art Museum of Kawakami Sumio, Tochigi
“Machida Connection”, Machida City Museum of Graphic Arts, Tokyo
“The 8th Hida Takayama Contemporary Woodblock-prints Biennale”, Gifu
2014 Graduated from Tama Art University, Department of Painting with a M.A. in Printmaking
2018 “The 86th Exhibition of Japan Print Association”, Tokyo Metropolitan Art Museum, Tokyo
“Rui Nishiyama Solo Exhibition”, Kosugi Gallery, Kanagawa
2019 “Rui Nishiyama Solo Exhibition”, Orie Art Gallery, Tokyo
“PRESS Exhibition “, Kosugi Gallery, Kanagawa
“Rui Nishiyama Solo Exhibition”, Gallery Kan, Chiba

推薦文

西山瑠依、その技法と作品

小林 敬生(版画家 多摩美術大学名誉教授)

「作家にとって版画の魅力は何と言っても版という第三者の介在により、作家の主観を超えた、より未知なるものに出くわされる可能性の強い作画だというところにある」よいう李禹煥氏の一文(1986年「版画のついて」李禹煥全版画より)がある。更に李氏は言う「版画は類似性を持った複数であることはあっても、一枚一枚作家と版の抜き差しならぬ対応の中で出来る、純粋にオリジナルなものなのだ」と。
私は西山瑠依の作品を目にする度に何故か李氏のこの一文を思い出す。と同時にかって目にした事がある西山がノミを手に版木に向かう様を思う。時に大胆に、時に優しく愛でるごとく、まるで版と戯れているかのように見えるその姿はまるで版木の中に眠る精霊を目醒めさせようとするかのようでもある。西山にとってノミは筆であり、バレンもまた筆なのだ。墨と顔料、水、そして和紙が版の上で西山と巡り合った時、まさに「作家と版の抜き差しならぬ対応」の中で、その作品世界は一層の拡がりを見せる。(西山は伝統的な多色摺りとは異なり描くように摺る、時には裏摺りなど様々な技法を駆使しながら…)

西山は自作について多くを語ることは無かった。語らないのではなく多分、心の内なる心情を語るに適切な言葉が見当たらなかったのであろう。
そして今「自らの中にある不安や飢餓感を植物の形に託し…」と西山は言うが、その不安や飢餓感の正体そのものを掴み取る為に敢えて版と対峙しているようにも見える。従って「感情や思い出、とにかく自分の中にあるものを分解し、再構築する」ことから始まるという制作の中でこの再構築にさしたる拘りはなくむしろ制作の中でごく自然に芽生え拡がるイメージをより確かなものに昇華させる事の方を優先する。その事によって心の奥底に蠢く無意識の中の意識、即ち不安や飢餓感の正体を描き出そうとしているのだと思う。
人は誰しもが無意識の中に意識を抱えている様に思う。脚本家の友人は「行き詰まって呻吟しても出てこない言葉が突然降りて来る事がある」と言うが、西山の場合は「湧き上がる」のであろう。論理でも、思索の結果でもなく、制作を進める中でごく自然に湧き上がり、拡がるイメージの世界。李氏の言う「作家の主観を超えたより未知なるものに出くわした瞬間」なのか或いは心の奥底に眠り続けていた無意識の中の意識が覚醒の時を迎えた瞬間であろうか。その結果として姿を現した西山の作品は、声高に語りかける事も、押しつけがましく訴えることもしないが、生と死の狭間にある儚さを身に纏ながらも生に対する希望に満ち、爽やかでさえある。
文学の世界で言えば西山は私小説作家の範疇に入るであろうが、この私小説作家、筆を進めるうちに雄大な大河小説をモノしている、そう思えてならない。