前田 由佳理

Maeda Yukari

1981 熊本県生まれ
2006 熊本大学大学院教育学研究科修了
2005 「大野城まどかぴあ版画ビエンナーレ」 奨励賞 大野城まどかぴあ・福岡
2011 「英展」田川市美術館・福岡
2012 「FEI PRINT AWARD」 入選 FEI ART MUSIUM YOKOHAMA・神奈川
2014 「第13回南島原市セミナリヨ現代版画展」 西日本新聞社賞 ありえコレジオホール・長崎
「第88回国展〜新しい眼〜」国立新美術館・東京
2015 「第6回山本鼎版画大賞展」 優秀賞 上田市立美術館・長野
「アワガミ国際ミニプリント展」 賞候補 いんべアートスペース・徳島
2016 「FACE展2016 損保ジャパン日本興亜美術賞展」入選
損保ジャパン日本興亜美術館・東京
「三越美術逸品会特集作家」日本橋三越本店・東京
「信國由佳理個展〜ワタシのカタチ〜」なかお画廊・熊本
2017 「アワガミ国際ミニプリント展」 入選 いんべアートスペース・徳島
「第7回山本鼎版画大賞展」 入選 上田市立美術館・長野
2019 「前田由佳理個展〜LIFE〜」REIJINSHA GALLERY・東京
2020 お菓子の香梅アートアワード 奨励賞・熊本
1981 Born in Kumamoto Prefecture
2006 Completion of  Kumamoto University Graduate School of Education Studies
2005 “Madokapia Print Biennial”
2011 “Eiten art biennial in Tagawa”
2012 “FEI PRINT AWARD” FEI ART MUSIUM YOKOHAMA,Kanagawa
2014 “the Seminario Print Exhibision”Inbe art space,Nagasaki
“Kokuten”The National Art Center,Tokyo
2015 “YAMAMOTO KANAE PRINT GRAND PRIX COMPETITION”Ueda City Musium of Art,Nagano
“Awagami International Miniature Print Exhibition 2015”Awagami’s Hall of Awa Japanese Handmade Paper Musium,Tokushima
2016 “FACE Exhibition 2016”the Sompo Japan Togo Seiji Museum,Tokyo
“Mitsukoshi Art Cube” Mitsukoshi Nihonbashi Main Store, Tokyo
“Yukari Nobukuni solo show”gallery Nakao,Kumamoto
2017 “Awagami International Miniature Print Exhibition 2017”Awagami’s Hall of Awa Japanese Handmade Paper Musium,Tokushima
YAMAMOTO KANAE PRINT GRAND PRIX COMPETITION”Ueda City Musium of Art,Nagano
2019 “Yukari Maeda solo show” REIJINSHA GALLERY,Tokyo
2020 “Okashi no Kobai Art Award Exhibition” Okashi no Kobai, Kumamoto

推薦文

前田由佳理―日常を超えて―

滝澤正幸(元上田市立美術館長)

「絶えず鼓動を刻む心臓、生気の感じられない伸びた足、私の中に宿っていたかもしれない胎児…」「ゴミ袋の中には、生活の痕跡が生々しく刻まれている」。第6回山本鼎版画大賞展優秀賞受賞作品《Proof of my life》(2014)に対する作者自身のコメント冒頭である。作品に描き出されるのは、様々な生活ゴミが目一杯押し込まれ、生ごみからの濁った汚汁が滲み出ているビニール袋。そんな腐敗臭漂う袋に当然のように押し込まれた乳幼児の生足・・・・。一見センセーショナルな事件性題材であろうかと戸惑う人もいるだろう。しかしながら「作品」そのものは、緻密で繊細。ビニール袋が物理的にそうであるのとは対照的に、比喩的な意味での「透明感あふれる」すっきりとした、爽やかな作品ですらある。これは勿論、版芸術の性質を熟知した作家による意図されたものでもある。版を、媒体を、「溶かし消し去るための」触媒や機械を通して、作者の手を一瞬でも離れることによる「生々しさの喪失」。これによって作品の主題は個的な主観から離れ、疑似的な客観性を纏い、極めてプライベートな部分が同時に広範な社会性を帯びる。
近作の《turn my fortune》(2021)もまた、一見妊婦の腹部にも見えるガチャポン。何本もの注射針が刺された透明の腹の中には、多くのプラスチック球がシャーレ上の精子や掻把具と共に、生まれ出るはずの順番を待っている。現金投入口に無理やり押し込まれ、周辺にも散乱する紙幣。テーマは不妊治療であろうか、本来生々しいはずの身体感は、やはり銅版画特有の繊細さで、冷たく精緻に、文字通りの機械として表現される。《明るい職場》(2020)においても、リアルに描写された仕事机の上は、パソコンがマウスがスマホが様々な端末が、長ネギや生魚や飲み物と一緒くたになっている。しかしこれは「乱雑」なのか?いやむしろ「使い勝手の良い距離感」なのだろう。ただし机の下の一時代前の情報系端末と共に示されるアイマスクとイヤーマフ。膨大な量の情報が錯綜する現代にあって、彼女の研ぎ澄まされた感性は確かに自身の距離感の範囲を切り取ろうとするのだが、ストレス源となるのは、結局は人と人。静かに淡々と表現される既視感のある時間と空気感は、モノと情報を消費し続ける社会が個人の集合体であること、自分を殺すことによる関係性の維持に過ぎないことを改めて暴露する。「生活の中の生と死」。彼女のテーマは決して揺るがない。
作家は浜田知明との出会いを含め、ほとんど大学卒業後に多くの専門家を訪ねて銅版画を学び、苦しみながら自らの表現を見出そうとしてきた。技術が必須のこの分野にあって、挫折を積み重ねながらの現在である。プライベートの苦悩や地元熊本での様々な災害、それらが文字通りの糧となっての現在がある。大災の最前線は結局は個々人に行き着く。作家の体験がその人格を形成し、作品となるのは自明でもある。「これまで、わたしを形づくるために一体どれだけの「もの」を消費してきただろうか。どれだけのものが姿形を変え、私の血となり、骨となり、記憶となってきたのだろうか。」「わたしのなかにある存在や記憶の欠片が一つひとつ積み重なり、わたしを形づくる。版表現は、朽ち果てることで、作品として昇華していく。」
個としての作家の感性と主観がどれほど多くの魂を揺さぶるのか。複製性を前提とした版画は、常に個を各種プロセスを通じて拡散させる芸術でもある。そして近作のほとんどは連続性をも伴うモノタイプとなっている。物理的な複数性ではなく、むしろテーマの共感力に重点が移ったかにも見える。銅版画に本質的に顕著な「静謐」な世界が、どれだけ個の持つ熱量を損なうことなく昇華させ得るのか。前田の作風である緻密で執拗なまでにリアルな描写は、彼女が持つ物語が同時に多くの人々の心と共鳴する可能性を増幅する。その装置が版の芸術なのだろう。
技術展開と表裏一体の当分野は、現在デジタル表現が将来の可能性を含めて大きな割合を占めつつある。写真自体の変質も含め、版芸術自体が一種の相転移的様相を呈している。とはいえ一方で「手の技」の世界がその味わいを失うこともない。アクリル絵の具、墨・胡粉、和紙といった媒材を駆使して、この作家の意図する世界は、絶妙なトーンも含め、慎重かつ堅固に構築されている。作品は銅版とボール紙を使ったコラグラフでもあり、技術の進化は後者にも繊細な表現力を与える。作家の初期作からコラージュ技法は用いられているが、削り、溶かすといった銅版のプロセスに、加算的要素が加えられているのだ。
しかしながらこの作家を通して思い知らされるのは、「作品」自体は、そこに込められたテーマと表現の止揚の高さであり、手段ではないという、重要かつ当たり前の事実である。前田の作品には、確かに彼女の個の問題が嚙み締められ咀嚼され、作品として高い完成度を以て示されている。