風間サチコ

Kazama Sachiko

1972 東京都生まれ
Born in Tokyo

1996 武蔵野美術学園版画研究科修了
Graduated from Department of Printmaking, Musashino Art School

2005 個展「クリテリオム64:風間サチコ」 水戸芸術館現代美術ギャラリー
Solo Exhibition, “criterium64: KAZAMA Sachiko” Contemporary Art Gallery, Art Tower Mito

2008 ゆかいな木版画 ─ その柔らかな微笑み 府中市美術館(東京)
Humorous Woodblock Prints and Their Gentle Smiles Fuchu Art Museum, Tokyo

東京ナンセンス SCION Installation L.A.(ロサンゼルス)
Tokyo Nonsense SCION Installation LA, Los Angeles

TARO賞の作家Ⅰ 川崎市岡本太郎美術館(神奈川)
The Artists of the TARO Award I Taro Okamoto Museum of Art, Kawasaki, Kanagawa

2009 個展「昭和残像伝」 無人島プロダクション(東京)
Solo Exhibition, “Showa Zanzo-den” MUJIN-TO Production, Tokyo

どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術 広島市現代美術館
Dorodoro, Doron – The Uncanny World in Folk and Contemporary Art in Asia Hiroshima City Museum of Contemporary Art

2010 VOCA展2010:現代美術の展望 ─新しい平面の作家たち─ 上野の森美術館(東京)
VOCA 2010: The Vision of Contemporary Art  The Ueno Royal Museum, Tokyo

2012 Art and Air ~空と飛行機をめぐる、芸術と科学の物語 青森県立美術館
Art and Air – A Story of Art and Science Involving the Skies and Aircraft Aomori Museum of Art

ジパングⅡ ─ 沸騰する日本の現代アート 新潟県立万代島美術館
ZIPANGU II − The Surge of Japanese Contemporary Art The Niigata Bandaijima Art Museum

個展「没落THIRD FIRE」 無人島プロダクション(東京)
Solo Exhibition, “BOTSURAKU THIRD FIRE” MUJIN-TO Production, Tokyo

推薦文

風間サチコ〜可能性としての木版画

推薦者:小松﨑拓男(金沢美術工芸大学教授)

電子メディアの時代だといわれて久しい。確かにあらゆる情報がネットワークとなり電子媒体化して液晶画面の中から語りかけてくる。美術の分野といえどもこうした状況は例外ではない。もはや歴史的名画さえも肉眼で見るよりも鮮やかで微細な画像となって目に飛び込んでくるだろう。

こんな世の中で、版画、しかも木版という、最も時代遅れとも見える方法によって現代美術の世界を生き抜こうというのは余程の決意でもなければ出来ないことのように思われる。だが風間サチコは実に飄々と、この彫刻刀で彫られ、ガサガサとした墨の刷り跡が踊る、木版独特の表情の作品を作り続けている。とてもユニークな存在だ。

鮮やかで派手な色彩が動き回る電子媒体の世界とはおよそ対極的ともいえるアナログで、時代遅れのように見える白黒の世界。しかしそこにはレトロな風情と共に、日本の戦前と戦後が渾然一体となって醸し出す「昭和な世界」が展開する。しかもそれはロボットや巨大な戦艦が登場する非現実で空想的な世界である。そこにはサイエンス・フィクションといった格好いい横文字よりも「空想科学小説」や「冒険活劇」といったレトロなキャッチフレーズの方が似つかわしいだろう。郷愁の彼方に消えていった儚い記憶のような図像が、独自の批評と統語法によってちりばめられる。最新作では震災とそれに続く福島の原発事故が題材となる。真摯な問いが圧倒的な迫力の巨大画面で迫る風間独自の世界だ。

メディアの新しさが評価されがちな今、浮世絵版画や創作版画といった日本固有の表現を生んだ木版の世界を今一度見直してもいいのではないか。風間サチコの仕事を見ていると、彼女自身の個性と才能を大いに感じると同時に、こうした版の新たな探求の可能性についても改めて気付かされるのである。