髙山 陽介

Takayama Yosuke

1980 群馬県生まれ
2007 多摩美術大学大学院美術研究科修了
2008 「髙山陽介展」ギャラリーハシモト/東京
2010 「Melon Float & Shop」小金井アートスポットシャトー2F/東京
2011 「彼女のウィンク、それを見た私」ギャラリーハシモト/東京
2012 「働く私、きまぐれ彼女のスイートギフト」ギャラリーハシモト/東京
2013 「UNDER 35 GALLERY」BankART Studio NYK/横浜
「埃をかぶりあなたと出会う」ギャラリーハシモト/東京
2014 「小屋に日が出る おはよう」ギャラリーハシモト/東京
2015 「捨象考」アキバタマビ21/東京
「公開制作」府中市美術館
2016 「コレクション+ 行為と痕跡」アーツ前橋
「Yosuke Takayama at THE STEAK HOUSE DOSKOI」XYZ collective/東京
「囚われ、脱獄、囚われ、脱獄」駒込倉庫/東京
「中庭」CAPSULE/東京
2017 「SAYONARA JUPITER」356 MISSION/ロサンゼルス
「朝のうた」gallery 21 yo-j/東京
「家村ゼミ展 髙柳恵里×髙山陽介×千葉正也」多摩美術大学/東京
「Natsu no Tobira」SHANE CAMPBELL GALLERY/シカゴ
2018 「野分、崇高、相模原」LUCKY HAPPY STUDIO/東京
2019 「現代地方譚6」須崎まちかどギャラリー/高知
「ひろば」ANOMALY/東京
2021 「まみえる 千変万化な顔たち」丸亀市猪熊源一郎現代美術館/香川
1980 Born in Gunma
2007 MFA Tama art university
2008 “TAKAYAMA Yosuke solo exhibition” GALLERY HASHIMOTO / Tokyo
2010 “Melon Float &Shop” KOGANEI art spot Chateau2F/Tokyo
2011 “I saw her signal with a wink….” GALLERY HASHIMOTO/Tokyo
2012 “a sweet gift from a whimsy girl” GALLERY HASHIMOTO/Tokyo
2013 “UNDER35GALLERY” BankART Studio NYK /Yokohama
“I am covered with dust, I meet you” GALLERY HASHIMOTO /Tokyo
2014 “The sun shines into the hut, Good morning” GALLERY HASHIMOTO /Tokyo
2015 “SHASYOU-KOU” AKIBATAMABI21/Tokyo
“Open Studio Program” FUCHU ART MUSEUM/Tokyo
2016 “Collection plus ACTION & TRACE”, Arts Maebashi/Gunma
“Yosuke Takayama at THE STEAK HOUSE DOSKOI” XYZ collective/Tokyo
“Imprisoned , Jailbreak , Imprisoned , Jailbreak” Soko KOMAGOME/Tokyo
“COURTYARD” CAPSULE/Tokyo
2017 “SAYONARA JUPITER” 356 MISSION/Los Angeles
“Morning Song” gallery 21 yo-j/Tokyo
“Iemura’s seminar exhibition Eri Takayanagi×Yosuke Takayama×Masaya Chiba” Tama Art University/Tokyo
“Natsu no Tobira” SHANE CAMPBELL GALLERY/Chicago
2018 “Nowaki,Sublime,Sagamihara” LUCKY HAPPY STUDIO/Tokyo
2019 “Contemporary tales from the province Ⅵ” Susaki artist in residence/Kochi
“Open space” ANOMALY/Tokyo
2021 “Encounter – Infinite Variety of Faces” Marugame Genichiro-Inokuma Museum of Contemporary Art / Kagawa

推薦文

住友文彦(キュレーター)

人がおこなう様々な行為のなかで、芸術表現が他と異なる何かとして認識される理由はなぜだろうか。
その理由のひとつに、行為が完結せず、持続することが挙げられると私は思っている。もちろん美術作品には「完成」があり、その証として作品に著名が加えられるが、それは著作物という商品や展示のための便宜的な措置ともいえる。つくりだす行為としての作品制作は潜在的に自己完結せず持続される、あるいはひとつの作品から別の作品へと連続性を持って継続されていく。私はこれまでも複数の作家の仕事を見て、作品単体ではなく、こうした行為の有機的連関に対して、芸術の自立、という概念が与えられるべきなのではないかと思うことがしばしばあり、髙山陽介もそうした作家のひとりである。
彼は木彫も手がけていて、チェーンソーやノミの荒い削り跡を残し、厚く色を塗った作品を制作している。木材だけでなく、実際に自分が使用した(と思われる)物を加えるなど、生活の一部が作品に流れ込み、それゆえに個人を通して現代社会が色濃く反映されているように見える。
彫る行為が彫刻と版画の双方を結びつけるため、ごつごつとした木の塊を削る作業が、平らな板に対しても同じように施されているように感じるのも制作の有機的連続性を感じる特徴である。そのいっぽうで、版画は彫刻を制作する自分を俯瞰して眺めるようなところがあると彼は述べている。
版画作品を見ると、木を彫る、身体を鍛える、飯を食べる、といった生活の一場面が描かれるイメージが刻まれ、そこに制作と生活の結びつきを感じる。各場面が綿々と繰り替えされる生活のサイクルから生み出されているように見える。また、新聞紙や木枠などに日常の物品が使われ、彫刻と同様に生活の一部が流れ込んでいる。
自画像を刻んでいる強い素朴な線は、こうした反復的なイメージに低音の響きのようなリズムを与えている。あえて特別な感情や風景の変化は加えられない。ただ、彫る、叩く、鍛える、食べる、といった動詞の述語で言い表される行為がベースラインのように淡々と繰り返され、この循環がまるでずっと続くようにさえ感じる。
そこには自立した生活があり、自立した芸術がある。芸術を社会や生活を切り離して自立させるのではなく、自己と連続させた自立である。それは、つくる行為に完結を求め、所属先を求める仕組みに抵抗している。私たちは切り離して交換できる存在ではないし、別の何かで置き換えることはできない。自分のことは自分で決める。それこそが人が実践する行為のなかで芸術が区別されるべき大事な点である。