濱野 絵美

Hamano Emi

1990 東京生まれ
2015 東京芸術大学大学院美術研究科版画専攻 修了
「form/category」オープンレター/東京
2017 「不確かさの記録」オープンレター/東京
2018 「rain to snow」ギャラリーそうめい堂/東京
2019 「Soumei-do Contemporary Exhibition Vol.1」ギャラリーそうめい堂/東京
1990 Born in Tokyo
2015 Graduated from Tokyo University of The Arts.
“form/category”, Open Letter, Tokyo
2017 “Trace of Uncertainty”, Open Letter, Tokyo
2018 “rain to snow”,Gallery Soumei-do, Tokyo
2019 “Soumei-do Contemporary Exhibition Vol.1”, Gallery Soumei-do, Tokyo

推薦文

|濱野絵美|の|版画|の|時空|

梅津 元 (芸術学)

|線|垂直方向の線|水平方向の線|斜め方向の線|交差する線|重なる線|規則的な線|揺らぐような線|線の集積|紙にインクがのっている|見る|能動的な行為|目に入る|受動的な行為|没入する意識|感覚の覚醒|ミクロとマクロ|極小の世界|宇宙的な世界|同時に想起|現実の時間|抽象的な時間|現実の空間|抽象的な空間|重層する|異なる時空|意識を集中|意識を解放|細部を凝視|全体を俯瞰|近づく|遠ざかる|呼吸を意識|移動の感覚|地図|歩行を喚起|空間的構造|抽象化|知らない場所|迷い込む|線の疎密|目で歩く|どこまでも|線の交差|奥行き|立体格子|斜行空間|視線の働き|移動に先行|極小化する身体|視線による転移|画面に到達|奥行きの内部|線に沿う移動|空間を体感|意識から離脱した身体|画面内を移動|身体から離脱した視線|身体の移動を俯瞰|私の視覚|眼球から離脱|私の意識|身体から離脱|私の身体|現実から離脱|抽象的な時空|無重力|宇宙的な時空|未知との遭遇|偶然|神経組織|相反する感覚|共鳴|意識の生成|世界の意識|宇宙の意識|現実の時空からの超出|重力圏からの解放|音が響く|線を追う視覚|余白を漂う視覚|音を奏でる|時間の流れ|図形楽譜|視覚のリズム|時間的構造|記号化|音が響く時間|線が出現する時間|移動の軌跡|音が響く空間|余白が生成する空間|余韻の残響|時間と空間|相関関係|画面に滞留する視線|量としての時間|画面を移動する身体|質としての空間|私の視覚|私の身体|私に戻る|私の意識|私が知らない私に戻る|過去|現在|未来|世界|いつかどこかで|異なる次元|共存|紙の上|出現する世界|現実の時空|脳の中|想像する世界|異なる時空|圧縮|パラレル・ワールド|同時に出現|インクに注がれる視線|紙に注がれる視線|視線の束|見る|紙にインクがのっている|線の集積|揺らぐような線|規則的な線|重なる線|交差する線|斜め方向の線|水平方向の線|垂直方向の線|線|
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2015年、濱野絵美の個展を見る。初めて見る濱野の作品は、シンプルながら、ミクロとマクロの感覚を同時に喚起する魅力に満ちていた。緻密な線を凝視し、画面全体を俯瞰する。どこまでも分け入ることができる深遠な世界が現前し、途方もなく広がる宇宙的な空間が想起される。見る側の意識によって、作品がもたらす空間は可変的となる。ミクロとマクロの感覚を意識しながら画面に没入すると、人間的な感情や感覚は希薄となり、純粋な「見ることの悦び」が、意識を透明に満たしてゆく。無限に広がる透明な意識は、紙とインクによって現実の世界につなぎとめられたまま、現実の空間からの超出を志向している。
濱野の作品は地図のように見える時がある。しかも、その地図は、永遠に出ることができない迷路のように見えてくる。それでも、その迷路に歩みを進める視覚の能動的な働きを自覚する。無限の時間を過ごすことになる迷路に分け入る意志は、永遠の時間がやがて無時間と等価になることを希求している。線に沿って目で歩く、その感覚が移動を喚起する。いつしか、地図や迷路の感覚は遠ざかり、線は移動の軌跡として認識されている。点の移動が可視化されれば線が出現し、移動の時間が縮減されれば線は点に接近する。線に内在する無限の時間と、点が表出する無時間が、現実の時間からの超出を志向している。
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濱野絵美の《偶然》。網目状の線、交差する線、線の密集、線の拡散、視線の束、意識の生成。銅版を世界とみなせば、刻まれた線は、その世界から削り取られた虚の空間である。虚の空間に、インクが充填される。充填されたインクは、プレスによって紙の上に出現し、虚の空間は、実体的存在へと転換する。紙に転移したインクは、実体であると同時に、視覚的な図として認識される。地の空間、余白となる紙は、実体でありつつ、虚の空間にも転じる。銅版とインクと紙にかけられるプレス機の圧力によって、異なる時空が、異なる次元が、パラレル・ワールドが、ひとつの時空に圧縮され、重層的に出現する。
《偶然》は、無数の信号を伝達する神経組織のように見える時がある。その神経系の内部で、秩序と反秩序が衝突し、相反する感覚が共鳴し、意識が生成する。この意識こそが、現実の時空間からの超出を志向し、その志向が、濱野の作品から感覚されるのだ。世界それ自体に、宇宙それ自体に、神経系が内在し、意識が生成されることを夢想する。線の交差が視線を吸収し、吸収された視線が束となり、純粋な「見ることの悦び」が、私の意識を、世界の意識を、宇宙の意識を、満たしてゆく。紙とインクによる抽象的な世界に、視覚が奏でる音が響き、極小の世界と無限に広がる世界が、永遠の時間と無時間が、顕現する。